母なる大地のはなし

生きている土のちから

日本は世界的に水の豊かさで知られています。しかし、実は水と同じくらい豊かなのは土壌です。実際に日本の土壌には世界と比較し、平均的に微生物の多様性が非常に高く、その土壌菌の数が何十倍もある場所がたくさんあると言われています。

歴史家であり思想家である故・松本健一氏はその著書「砂の文明・石の文明・泥の文明」の中で文明の原点を風土に根ざした三つに分類し、日本を含むアジアを「泥の文明」と表現しました。

「泥は多くの生命、生物を生み出す。人々は、そこに田を作り、毎年同じように食物を提供してくれる自然の中に定住し、自然から恵みを受け、それを有効利用してきた。収穫量を上げて豊かになるために、水田の品質管理や、天候、病害虫に堪えるための品種改良といった工夫へと努力がなされ、その間に水田の泥は蓄積し、その泥がいっそう豊かな食物を人々に与える。こうして泥の文明では、農耕を維持する相互扶助のシステムの中から、共同体に富を蓄積するために、『一所懸命』にあらゆる努力が払われるようになっていく。」

日本の食文化を考える上で欠かすことのできない米。それはまさに泥が生み出すものです。

確かに、日本人は食に関することだけでなく、家屋の建築材料もわらなど植物を混ぜ込み発酵させた泥(べと)が使われ、それを土壁にして、日本各地の風土にあった創意工夫を加えて暮らしていました。

わびさびを感じさせる美しい自然の風化は土壁の空間の魅力ですが、目に見える以上の効用として、生きた土と水と植物で空間を作り出すことで微生物が生息する、目に見えない空間に満ちる土の力が挙げられます。昔の人は「土は呼吸しており、生きている」と知っており、その力をちゃんと生活に取り入れていたようです。

この頃、土は物質循環の要であって、壁に使われた土はその後よい堆肥になり農地に還りました。

このような生きた土に囲まれた環境で暮らし、季節に合わせ土地に適した固有の種を蒔き、その土地で丹念に育て収穫した食材を使って発酵食品をつくり、村中はもちろん隣村含めて小さな島国の中で何百年もの間分かち合っていたことは、日本人の独特の微生物の多様性を補強しあう行為だったと言えます。

その結果が現代の栄養学でははかれない、現代と比べかなり質素な食でも驚異的な健康長寿を誇っていた日本人の健康の秘密なのではないでしょうか。

しかしこの恵まれた土と水に囲まれたことへの感謝が薄れつつあるのが戦後の日本人です。なぜなら日本の産業廃棄物の中で今もっとも多く、その半分近くを占めているのが膨大な量の土、泥だからです。

これは汚泥と呼ばれるもので、下水処理場の処理過程や工場の廃液処理過程などで生じるもの、建設工事にかかわる掘削工事から生じる泥状の掘削物などがあります。

私たちは土が含む様々な養分を植物に吸収させ、食料として食べています。しかしその養分を一方的に摂取するだけで土に戻さないという人間の暮らしは、土から見れば略奪的で破壊的な行為であり、そういった社会や都市の暮らしを便利だからと定着させて来てしまったのです。土壌は単なる食糧生産の場ではなく、人間の豊かさ、スピリチュアルの源泉です。歴史上の数々の文明が滅びる時、必ず土壌の劣化・砂漠化・浸食が起きてます。

世界では、非常に大切な土である「表土」が失われているのです。「表土」とは、栄養分に富むとても薄い土の層で、最も有機物に富み、最も生物量が多い、生き生きした、まさに「生きている土」そのもの。失われたこの表土を元に戻すのに、自然に任せるだけでは数百年もかかるといわれています。「土は人の手によってよい土になったり、悪い土や死んだ土になったりする」ということを今こそ私たちは考えるべきでしょう。

一方で日本の大都会のコンクリートの下には生物多様性のある豊かな土壌が残っているという研究結果があるそうです。私たちが足元に封印している土のちからを解き放てば都会でも豊かに実がなる畑が生まれるかもしれないのです。またそのような土に触れることで私たちの体の健康の源である微生物の多様性が高まる可能性もあるのです。戦後コンクリートの下に眠る手付かずの土は、ひょっとすると私たちの祖先が残してくれた宝ものなのかもしれません。

石坂オーガニックファームでは、世界各地の土をよくする活動を実践する研究者や活動家と協力して、さまざまな手や体で感じる土の教育活動を進めています。ぜひ土をよくする暮らしのヒントを学びに会員制循環型農園ReDAICHIにご参加ください。